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更新日:2011年3月22日
発生年月日 |
災害種別 |
概況 |
鳥羽の主な被害 |
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1854年 |
地震津波 |
震源地は東海道沖でマグニチュード8.4と推定され畿内及び東海道、南海道、東山道、西海道、山陽道、山陰道諸道を震わせた。津波は房総から土佐の沿岸に大きな被害を与えた。熊野長島でも「800戸のうち80戸残り、他は流失、二木島、新鹿、大泊は8分通り流失」の被害を出し津波の高さは、尾鷲6~10m、熊野遊木浦、二木浦等で約10mに達した。 |
鳥羽、大湊の推定震度は6。津波の高さは、鳥羽で5~6m、志摩半島では(30余尺~70尺)10~20にのぼったとの記録もある。 |
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(文献にみる安政地震の被害状況)
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その他、「嘉永七寅年地震津波波并出火之覚」(鈴木家文書国立史料館蔵)によれば、“藤之郷で死者5~6人”と記録が見られる。 |
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発生年月日 |
災害種別 |
概況 |
鳥羽の主な被害 |
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1854年 |
地震津波 |
五日申の中刻(七ツ半)畿内、東海、東山、北陸、南海、山陰、山陽、南海諸道、前日の大地震より約三十二時間の後発す、被害ありし区域は紀伊、和泉、河内、大和、山城、摂津、淡路、伊賀、伊勢、志摩、美濃、尾張、三河、播磨、備前、備中、備後、周防、安芸、石見、出雲、伯耆、越前、日向、豊後、肥後、土佐、阿波、讃岐、伊予の諸国を包括する。加ふるに大津浪海辺の地を襲い、被害甚大で、中でも土佐、阿波及び紀伊半島南部は震害、浪害共に激甚であった。(中略)此地震の被害は正確に知る事を得ないが、故大森博士の調査によれば、全潰約壱万、全半潰の合計四万、焼失約六千、流失約壱万五千、死者約三千に達すると云う。 |
鳥羽市史 下巻 資料(1.気象と災害)より引用
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