• ホーム
  • くらし
  • 結婚・子育て
  • 健康・福祉
  • 教育・文化・スポーツ
  • 産業
  • 環境・まちづくり
  • 市政情報

ここから本文です。

更新日:2011年3月22日

入選 「悲将の島」 宇神幸男(神應幸男)

天正3年夏、十字架の旗や幟を満艦飾に飾り立てた艦隊が臼杵湾を出帆した。かつての土佐中村の太守で、長曽我部氏の謀略によって領主の座を奪われた一條兼定の艦隊である。
岳父である豊後の王大友宗麟のもとに身を寄せていた兼定は、宗麟の勧めで受洗し、ドン・パウロとなる一方、南伊予の反長曽我部派諸豪族を糾合、旧領回復のため出撃したのである。仏狼機砲一門、種子島銃120挺、宗麟から強力な火器を貸代され、敵軍を撃破することは容易と思われた。
その昔、海賊の根拠地であった伊予宇和島沖の日振島で潮待ちする間、兼定は藤原純友ゆかりのこの島に上陸した。おりから浜は迷いこんだ仔鯨の解体作業で騒動していた。
艦隊は土佐沖に進めるうち、仔鯨を追ってきた親鯨に遭遇した。巨鯨の跳躍の前に艦隊はなすすべもなく、仏狼機砲・小早船4艘・兵士10数名を喪失した。
宿毛に上陸し、軍団は土佐中村に進軍、渡川(四万十川)をはさんで両軍対峙した。雨で種子島を使えない一條軍は惨敗し、伊予をめざして敗走、兼定は伊予法華津氏の庇護を受け、修道士トピアスと2人、宇和島沖の戸島に隠栖した。
ある日、旧臣入江左近が訪ねてきた。兼定は左近に斬りつけられた。左近は長曽我部に買収された刺客であった。デウスの加護か、兼定はなんとか一命をとりとめた。
まもなく、土佐から愛妾雪がやってくる。トピアスに暇を与え、雪と2人で信仰の日々を送る兼定。天正9年、朗報があった。堺から豊後に帰る日本巡察使アレッシャンドロ・バリニャーノが船上で面会したいというのである。
由良岬沖に小舟を出し、バリニャーノに対面した兼定は、数年後、熱病におかされ、雪に看取られて帰天する。
その年の暮れ、トピアスのもとに雪からの手紙が届いた。

よくある質問

お問い合わせ

所属課室:教育委員会生涯学習課社会教育係

〒517-0022 三重県鳥羽市大明東町1-6

電話番号:0599-25-1268

ファックス番号:0599-25-1263