答志島

更新日:2022年03月31日

答志島のイラストマップ

水軍の将九鬼嘉隆が眠る島

答志島 空撮

答志島は、鳥羽港の北東約2.5キロメートルに位置する鳥羽市最大の島であり、答志(とうし)、答志和具(とうしわぐ)、桃取(ももとり)の3集落があります。地形は、総面積6.98平方キロメートル、周囲26.3キロメートルで、島の80%が自然林で占められており、桃取町の奈佐には、市の木であるヤマトタチバナの原木が生えており、県の天然記念物にも指定されています。また、周囲には飛島、浮島、牛島、大中山島、大築海島、小築海島等の無人島を配しています。

産業面は、漁業と観光の調和のとれた地域振興を目指しており、地元の良さを活かした地域ビジネスの展開に向け、取り組んでいます。交通体系については、市営定期船が佐田浜港から答志、和具行きと桃取行きの2区間に分かれてそれぞれ1日8~10便運航しています。また、本土との架橋建設を実現させるため、3町合同で「答志島架橋建設促進協議会」が設立され、その必要性及び方策について検討を進めています。

答志島の概要 ABOUT THIS ISLAND

面積

6.98平方キロメートル

周囲

26.3キロメートル

世帯数

772世帯

人口

1,861人(男866人、女995人)

(令和4年2月末)

1.答志地区

346世帯 976人(男454人、女522人) 
宿泊施設・・・旅館、民宿など6軒(収容能力207人) 

2.和具地区

159世帯 360人(男175人、女185人)

宿泊施設・・・旅館、民宿など10軒(収容能力502人)

3.桃取地区

254世帯 525人(男237人、女288人)

観光客数

89,745人(令和2年1月~令和3年12月)

観光スポット

九鬼嘉隆の首塚及び胴塚、海水浴、答志スカイラインからの展望

観光 SIGHTSEEING

鳥羽市の離島の中でいちばん大きな島であり、関ヶ原の戦に敗れ自刃した、鳥羽城主・九鬼嘉隆の首塚・胴塚などの史跡や漁港でのワカメ等の作業風景などを回るウォーキングツアーが人気です。

漁港で2人の人がワカメの作業をしている様子の写真
答志島内の路地の写真

ありのままの島の路地裏散策や、古くから根づく海女たちによる海女小屋体験、無人島での自然水族館などのエコツアーが人気です。

美多羅志神社の竜神さんと呼ばれる、左を向いた竜の横顔のように見える写真

なんといっても漁業が盛んで、島の宿泊施設や飲食店では、新鮮な島の魚介類を味わうことが出来ます。

文化と歴史 CULTURE & HISTORY

島の祭り

三太郎さん(1月)(桃取地区)

竜神まつりとも言い、海の神に供え物をし一年の豊漁と安全を祈願します。

八幡祭り(旧1月17日~19日に近い土・日曜日) (答志地区)

両側の石垣の上の、日の丸の模様の扇子を持った大勢の人々が、石垣に囲まれた小道を上ってくる若者たちを待ち構えている様子の写真

答志島、八幡神社の祭礼である「神祭」は毎年旧暦の1月17 日~19 日に行われます。(現在は、旧暦の1月17日~19日の直近の土・日曜日に開催しています。)弓引神事は、祭の中で最も盛り上がる迫力満点の行事です。「お的衆」と呼ばれる若者たちが、畳一枚半ほどの「お的」(木組みに紙を張って墨を塗ったもの)を担いで坂を駆け上がると、待ちかねた町民が次々とお的に飛び込み墨紙を奪い合います。人々は護符にかわるこの墨紙で家の戸口や船に「丸に八の字」を書いて、1年の大漁と家内安全を祈願します。弓引神事の後、舞台では獅子舞が始まります。町民一丸となって祝う勇壮な祭りは、島の若者たちによって今も受け継がれています。(国土交通省の島の宝100景に選定)

おいやれ船(8月末) (桃取地区)

わら船を作り、各戸が人形を作って船に乗せて海に流します。先祖の霊を送るとともに、海上安全・無病息災の祈りを込めた行事です。

島の民俗「寝屋子制度」

戸籍上の兄弟ではない人同士が、終生、兄弟以上の付き合いをする制度。 市の無形民俗文化財。

島の文学

「万葉集」「山家集」に歌が詠まれているほか、「橋本善七の歌碑」 が美多羅志神社にあります。 その他、海女や寝屋子制度などの答志の生活が詳しく描かれた「森村桂 日本を行く」、九鬼嘉隆の晩年を描いた「巨船」があります。

島の伝説

  • 「伊勢三郎女房の墓所」(答志)
  • 「お天道さんの松」(答志和具)
  • 「弘法大師の誕生」(桃取)など

島ゆかりの偉人

九鬼嘉隆 Kuki Yoshitaka 1542~1600

織田水軍の将として、歴史上に名をはせた九鬼嘉隆は、海の浮き城とよばれた鳥羽城を築き上げました。現在は、我が国唯一海に向かった大手門の海城跡として知られています。信長とともに戦った嘉隆の歴史上最大の功績は、信長の日本制覇を阻止しようと10年以上も対抗してきた毛利水軍(村上水軍)を日本で初めて鉄張の軍船をつくり撃退したことです。信長の死後も秀吉の命を受けて、朝鮮出兵での指揮を務めるなど、戦国時代の日本の歴史と深く関わってきました。しかし、関ヶ原の戦いで、九鬼家の父と子が西軍・東軍に分かれて戦うことになり、負けた西軍についていた父・嘉隆は、答志島で自刃して果てました。鳥羽には彼にゆかりのある寺として、常安寺があります。この寺は、子の守隆が父である嘉隆追善のために建てたものとされています。嘉隆の首は「我が首は我が鳥羽城が見える場所に」との遺言とおり鳥羽城を見渡せる丘の上に、胴部はその麓に葬られ首塚、胴塚として答志島和具に残されています。

島の食

四季を通じて新鮮な魚介類が味わえます。

タイ、スズキ、サワラ、シラス、ヒラメ、メバル、イワシ、サバ、あなご、イセエビ、アワビ、サザエ、うに、タコ、、牡蠣、のり、ワカメ、アラメなど

食事処

  • マルト食堂(定食・丼物等) 電話番号0599-37-2058
  • ロンク食堂(日替わり定食・寿司等) 電話番号0599-37-2167
  • まるみつ寿司(寿司・定食等) 電話番号0599-37-2314
  • みはま(軽食) 電話番号0599-37-2195
  • ニューやま七 電話番号0599-37-2034
    • 市指定のとばーがーのうち、じゃころっけバーガーが食べられます。(要予約)
      (注意)宿泊施設でも予約により昼食可能

宿泊施設

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