県指定文化財 九鬼嘉隆墓(首塚)

更新日:2022年03月31日

海が見える場所に石でできた囲いの中に2本に分かれた木が生えている 九鬼嘉隆墓(首塚)の写真画像

九鬼嘉隆墓(首塚)

この文化財の説明
種別 県指定史跡
所在地 鳥羽市答志町
指定年月日 昭和16年5月22日
解説 九鬼氏は熊野海賊の頭領で、尾鷲市九鬼に住したので九鬼と称した。貞治(1362)頃に志摩の波切に移り、嘉隆の時織田信長に仕え鳥羽に移った。その後、小田原の役、文禄の朝鮮役で武勲をたてるが、関ケ原の役では西軍に応じて敗れ、答志に逃れるが和具洞泉庵で自刃した。墓は花崗岩製の五輪塔で、高さ1.75センチメートル、火輪と地輪がもとのままで、他は後補である。地輪正面に「慶長五(1600)庚子十月十二日(梵字)前薩州大守泰宗常安居士 大守守隆」、裏面に「寛文九(1669)年十月十二日 九鬼式部少輔隆季 再彫刻之」と刻まれ、慶長5年に嘉隆の子守隆が建立し、その後風化損傷したので孫隆季が補修したことがわかる。

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