門野家資料

更新日:2022年10月19日

種別 歴史資料

所在地 鳥羽市鳥羽一丁目

指定日 平成24年3月1日

【概要】

門野家は鳥羽藩最後の藩主であった稲垣家に仕えてきた士族で、幾之進の父、豊右衛門は、慶応元(18651)年、第2次長州征伐にも出向いている。幕末の明治政府と幕府の戦いの際、鳥羽藩は幕府軍として参加したが、敗退し、その責任と敗戦処理を任された豊右衛門は苦労を強いられた。その功績が認められ最後は家老の地位を得ている。

その豊右衛門の長男として安政3(1856)年に生まれた幾之進は幼少の頃から英才教育を受け、6歳の御家流習字、7歳で地理、物理、博物学などを習得していく。

明治2年に版籍奉還がなされると、明治政府は有能な人材を確保するために各藩から「貢進生」といって優秀な頭脳を提供させた。その貢進生として幾之進は14歳で東京の塾に出された。その世話役は既に活躍した近藤真琴だったといわれている。

門野幾之進記念館には実物資料135点、冊子資料70点、ポストカード456点、はがき封書資料2443点、書籍資料114点、写真資料46点、書画資料16点、その他5点、合計3,285点は地方士族の質素な生活の実態を表しており、極めて貴重である。

特に、幕末に用いられた戦用具は槍・刀・馬具・鎧・甲冑・火薬入れなどすべて揃っていて鳥羽藩の歴史資料として価値が高い。

門野家資料