坂手島

更新日:2022年03月31日

坂手島のイラストマップ

カキツバタ咲き誇るのどかな島

坂手島の航空写真

坂手島は、鳥羽港の東約0.6キロメートルに位置し、東西約2キロメートル、南北約1キロメートルで総面積0.51平方メートル、周囲3.8キロメートルで、4有人離島のうち一番小さく、本土に一番近い島です。

「大同本紀」に「佐加太伎島」と記載され、「内宮儀式帳」には、「酒滝島」とあることから、サカタキの語が転じてサカテになったといわれています。島の集落は、南側と西側に密集し、南側では階段状に家々が軒を連ねた漁村特有の集落を形成しています。5月中旬から6月にかけて、アヤメ池には、市の天然記念物であるカキツバタが咲き誇り、島の風物詩として多くの人々を魅了します。

産業面では産業面では、坂手島を他の3島と比べると第3次と第2次産業の比率が高く、本土とのアクセスが容易であることから、島外への通勤者の割合が多くなっていることに起因している。

交通体系については、市営定期船で鳥羽マリンターミナルと中之郷港をあわせて1日12便運航しており、4島の中ではもっとも利便性の高い島となっています。

坂手島の概要 ABOUT THIS ISLAND

面積

0.51平方キロメートル

周囲

3.8キロメートル

世帯数

194世帯

人口

278人(男121人、女157人)

(令和4年2月末)

宿泊施設

ペンション・民宿など2軒(収容能力45人)

観光客数

4,722人(令和2年1月~令和3年12月)

観光スポット

あやめ池(市指定天然記念物)、船着場のタブの木(市指定天然記念物)、江戸時代の砲台跡(県指定文化財)

観光 SIGHTSEEING

鳥羽から一番近い島で、定期船の便数も一番多く便利です。 5月中旬から6月にかけては、あやめ池のカキツバタが島の風物詩として多くの人を魅了します。 島の南側斜面に段々状連なる漁村風景や細い路地は、ノスタルジックな雰囲気をかもし出しています。 そして、夜になると対岸に見える鳥羽市街の夜景が楽しめます。

島の体験ツアー実施主体

文化と歴史 CULTURE&HISTORY

島の祭り

子日祭(正月初子の日)

お札やすす竹などを集めて、掛魚や赤飯等を供えて燃やす、大漁満足、海上安全、家内息災を願う祭りです。

アマチャ/オシャカサン(4月上旬)

花祭りとも、降誕会とも呼ばれます。甘茶が配られます。

棒ねり(7月14日)

江戸時代に悪疫を鎮めるために始められたといわれています。背丈ほどの木の棒を5色の紙で飾り、まわしながら若宮神社まで町内を練り歩きます。棒を回すのは、山車の車輪に見立てたもので、路地が狭くて山車が通れない、坂手町特有の祭りです。(休止中)

棒ねりの様子の写真

棒ねりの様子の写真

坂手若宮神社境内社須賀社の天王祭(旧6月14日)に行う。この神事の創立年代及び由緒は不明であるが、当社に蔵する「御造営入目帳」から推せば、享保以前であることは明らかである。古老の言では須賀社は悪疫流行の際悪病除けの守り神として尾張国津島神社の御分霊を勧請し祀ったとの言い伝えがあり、6月14日が鎮座日という。当日は夕刻近く、島の男性たち(一戸一人)が、それぞれ棒の両端に五色の紙房をかざった六尺余りの棒をかついで浜辺に集る。二人の棒ねりというのが一同の先頭にたって、かざり棒を水車のように振り回して、あとに続く歌い手の歌と太鼓に合わせて踊る。そのさまは踊るがごとく、狂うがごとく四肢をふんで町中を練り進んでいく。・・・・・・かざり棒を振りまわすのは御所車の進行に似せているというが、志摩地方ゆかりの平家の家風を受けたものか、歌詞にはその年々の豊漁と部村の悪病を払って安全を願うことがうたわれている。

神勇音頭

一、此宿へ 井戸掘れば 水は出もせで 金が出て 金ね吸もよく 金ね吸もよく 白金釣瓶で 金くもう

一、津島には、物の御上手が 御座るやら 鳥の様なる 黒鳥を造りならべて 小松の小枝へ宿らせて六月 祇園に明かした

この祭りは、鳥羽市無形民俗文化財に指定されている。

島の文学

「万葉集」の“あごの山五百重隠せる佐堤の先 小約延へし子が夢にし見ゆる”(市原王)の佐堤の崎は坂手島の崎といわれています。また、坂手島は、江戸川乱歩が運命の出会いを果たした地でもあります。乱歩が鳥羽の造船所で働くかたわら「鳥羽おとぎ会」を結成し、鳥羽周辺の小学校をまわっていた頃、坂手小学校の学芸会に招かれ、ひとりの女性教師を知りました。その女性こそ、のちに妻となる村山隆さんだったのです。「屋根裏の散歩者」、「パノラマ島奇譚」などの作品は、鳥羽で過ごした日々が題材になっているといわれています。

江戸川乱歩の妻(隆さん)の生家の外観写真

島ゆかりの偉人

嶋谷自然 Shimaya Shizen 1904~1995

豊かな自然風景を描く日本画家として知られる嶋谷自然。彼は、坂手町の豊かな自然の中で過ごしました。幼い頃に印象的だったその風景が、後に彼に独特の自然観を生み出させたのかも知れません。中村左洲に日本画を学んだ嶋谷は、上京して矢澤弦月の門下生となった後、西山翠嶂に師事します。第10回帝展において「網小屋」が初入選したことで、風景画家として歩みはじめました。その後も、日展で授賞して脚光を浴び、名古屋芸術大学の教授に就任するなど、めざましい活躍をしています。嶋谷が描くのは、温和な色彩、シンプルな形態、端正で稠密な様式の自然観でした。対象を省略化しながら、色面の効果を最大に活かしたこの作風は、新鮮で個性的だったのです。彼の作品は、坂手小学校や市民文化会館、図書館に作品が寄贈されています。

島の伝説

「金鶏伝説」「番太の権八」

島の食

四季を通じて新鮮な魚介類が味わえます。

タイ、スズキ、アジ、サザエ、のり、わかめ(あじつけわかめ)、たこなど

宿泊施設

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