明応の地震・津波

更新日:2022年07月07日

明応の地震・津波の詳細と被害
発生年月日 災害種別(要因) 概況 鳥羽の主な被害
1498年
明応7年8月25日
地震津波 震源は遠州灘東部域で伊勢、紀伊、遠江、三河、駿河、甲斐、相模、伊豆の東海道諸国を振動させ、マグニチュード8.6と推定される。
伊勢大湊では津波で倒壊流失家屋が1,000軒、溺死者が5,000余人。(神宮年表)。 大湊領塩屋村は180余戸殆ど全滅して、生き残ったもの僅かに4~5人であったと言う。
鳥羽での推定震度は5、大津(鳥羽市国崎町)での津波の高さは、8~15メートルと考えられている。
その後大津は国崎に合併したと伝えられる。
内宮子良館記によれば、伊勢・志摩での約10,000人の溺死者を生じたといわれる。

鳥羽市史 下巻 資料(1.気象と災害)より引用

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