宝永の地震・津波

更新日:2022年07月07日

宝永の地震・津波の詳細と被害
発生年月日 災害種別(要因) 概況 鳥羽の主な被害
1707年
宝永4年10月4日
地震津波 震源地は、紀伊半島沖と遠州灘の二元地震と考えられ、マグニチュード8.4と推定される。静岡、山梨、長野各県、東海地方、機内、四国、九州東部は被害を受けたが、東海道、伊勢湾、紀伊半島が最も被害が大きかった。津波は九州南東部より伊豆に至る沿岸に襲来、紀淡海峡、大阪湾、瀬戸内海に侵入。土佐での被害が大きく、流失家屋11,170戸、溺死18,441人。尾鷲で溺死1,000余人、大阪で流失603戸、溺死700余人、地震及び津波で倒壊29,000余戸、死者4900人。伊勢湾は津波の最高15メートル。被害も多きかった。

堅神村、安栄島村、浦村、石鏡村・国崎村、相差村

観音寺流失、村中家財、稲籾俵物不残流失、村中家財、稲籾俵物不残流失、漁具、漁船も流失。鯨船も被害を受け、以後廃絶においやられたと考えられる。
村中家財、稲籾俵物不残流失

1708年
宝永5年1月22日
地震津波

津波は伊勢山田吹山町を襲い、田畑の被害多し。
津波の高さ1メートル内外を推定される。

 

鳥羽市史 下巻 資料(1.気象と災害)より引用

1707年宝永4年10月4日の宝永の地震・津波による農耕地の被害詳細

宝永の地震・津波による農耕地の被害表
年貢村高
(石斗升合)
被害田畑積
(町反畝歩)
分米
(石斗升合)
分米
(内7升)
堅神村 256.1.8.8 9.7.21 7.7.1.6 2合潰地
桃取村 179.3.7.0 8.0.00 6.4.0.0 0
安楽島村 536.6.6.5 1.4.5.09 11.6.2.4 6筆
浦村 448.9.8.9 6.3.3.26 49.5.0.0 7筆
相差村 729.4.5.0 12.7.9.29 106.7.7.6 3筆
畔蛸村 94.5.0.0 1.3.0.26 9.6.9.6 1筆
千賀村 195.7.1.8 1.0.15 8.4.0 1筆
堅子村 50.7.4.8 4.18 3.6.8 0

宝永の津波による鳥羽・志摩の村々の詳細は田中四郎氏の論文を参照されたい。

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