嘉永の地震・津波

更新日:2022年07月07日

 

嘉永の地震・津波の詳細と被害
発生年月日 災害種別(要因) 概況 鳥羽の主な被害
1854年嘉永7年11月4日 地震津波 震源地は東海道沖でマグニチュード8.4と推定され畿内及び東海道、南海道、東山道、西海道、山陽道、山陰道諸道を震わせた。津波は房総から土佐の沿岸に大きな被害を与えた。熊野長島でも「800戸のうち80戸残り、他は流失、二木島、新鹿、大泊は8分通り流失」の被害を出し津波の高さは、尾鷲6メートル~10メートル、熊野遊木浦、二木浦等で約10メートルに達した。 鳥羽、大湊の推定震度は6。津波の高さは、鳥羽で5メートル~6メートル、志摩半島では(30余尺~70尺)10メートル~20メートルにのぼったとの記録もある。

(文献にみる安政地震の被害状況)

 

鳥羽市の被害
町村名
文献名
鳥羽町 堅神町 安楽
島村
今浦村 本浦村 相差村 堅子村 小浜村 神島村 国崎村
青窓
紀聞
流失
戸数
80余軒 51余
(内寺1ヵ寺)
全戸 60 70 280 5 - - -
死者 1人 - - - - - - - - -
大地震大津波
流倒之記
岩崎藤
中之郷
片町本
町大灘
大荒 大荒 大荒 大荒 - 大荒 - -
大地震津波実
記控帳
藤之郷
中ノ郷
横町大
里町本
町汐入
大半
流失
大半
流失
大半
流失
大半
流失
- - 大半
流失
- -
各地の
津波の
碑による
災害数
流失
戸数
- - - - - - - - - 4
死者 - - - - - - - - 志摩町
越賀で
14人水死
6
今浦地下文書
本浦漁協文書
(1)今浦分
死人 小児1人、流失家 35軒、同納屋 1軒
同隠居 1軒、同会所 1軒、同郷蔵 1軒
同土蔵 3ヵ所、同納屋 29軒、潰家 10軒
半潰 8軒、半潰土蔵 8軒、漬納屋 6軒
流失米 250俵、同種籾 200俵位
同御年貢預り米89俵、雑穀類 丹50俵位
(1)本浦分
流失家 56軒、同医師 1軒、同会所 1軒
同土蔵 5ヵ所、同潰家 5軒、同土蔵 6軒
潰納屋 1軒、半潰家 18軒、同土蔵 5軒
流失米 280俵、同年貢預米 80俵
同雑穀類 70俵位
その他、「嘉永七寅年地震津波波并出火之覚」(鈴木家文書国立史料館蔵)によれば、“藤之郷で死者5~6人”と記録が見られる。
発生年月日 災害種別
(要因)
概況 鳥羽の主な被害
1854年
嘉永7.11.5
地震津波 五日申の中刻(七ツ半)畿内、東海、東山、北陸、南海、山陰、山陽、南海諸道、前日の大地震より約三十二時間の後発す、被害ありし区域は紀伊、和泉、河内、大和、山城、摂津、淡路、伊賀、伊勢、志摩、美濃、尾張、三河、播磨、備前、備中、備後、周防、安芸、石見、出雲、伯耆、越前、日向、豊後、肥後、土佐、阿波、讃岐、伊予の諸国を包括する。加ふるに大津浪海辺の地を襲い、被害甚大で、中でも土佐、阿波及び紀伊半島南部は震害、浪害共に激甚であった。(中略)此地震の被害は正確に知る事を得ないが、故大森博士の調査によれば、全潰約壱万、全半潰の合計四万、焼失約六千、流失約壱万五千、死者約三千に達すると云う。

鳥羽市史 下巻 資料(1.気象と災害)より引用

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