戦国武将九鬼嘉隆と九鬼水軍
戦国時代に水軍として活躍した九鬼嘉隆
九鬼嘉隆(天文11(1542)~慶長5(1600)年)は、志摩国に生まれました。当時、九鬼氏は志摩の小さな一勢力に過ぎませんでしたが、織田信長や豊臣秀吉のもとで水軍で活躍し、志摩一国を支配する大名に上り詰めました。また、鳥羽の地に鳥羽城を築城しました。
関ケ原の戦いの際には、石田三成方の西軍につき、東軍についた息子守隆と戦うことになりました。西軍の敗北を知った嘉隆は、答志島に逃れました。守隆の必死の嘆願により、家康から助命の許しを得ますが、その使者の到着を待つことなく、嘉隆は自害しました。鳥羽には、水軍の大将として戦国時代を駆け抜けた九鬼嘉隆ゆかりの場所が今も残されています。
なお、鳥羽一丁目の鳥羽市歴史文化ガイドセンター2階の郷土資料室には、九鬼嘉隆や九鬼水軍を紹介するパネル・関連資料などを展示しています。

九鬼嘉隆像(常安寺蔵)
鳥羽市歴史文化ガイドセンター2階の展示室
鳥羽市内には九鬼氏ゆかりの史跡が残っています。
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更新日:2024年08月14日